高松藩祖松平賴重は水戸徳川頼房の長子で、二代光圀の兄に当たり、徳川一門が崇敬する浄土宗に帰依、建永の法難で讃岐に流された法然上人が住したという生福寺(まんのう町)を城下約8.5km南の地に復興し、菩提寺とした。

寛文8年起工、同10年正月25日に三十三門二十四宇の堂塔が完成、江戸小石川伝通院前住職真誉相閑を中興とし、仏生山来迎院法然寺と号した。

須弥山を模した山上に位置する般若台には、法然上人を中心に、賴重の父頼房をはじめ、賴重以来の高松松平家一族の墓石202基が存在する。

十王堂から参道を経て、黒門から仁王門へ、そして階段を上り、二尊堂、来迎堂へと続く境内諸堂の配置は、地獄から極楽へ到る「二河白道」を見立て、来迎堂内正面の黄金の阿弥陀二十五菩薩立体来迎像は阿弥陀如来のお迎えを表し、極楽浄土の位置には般若台が拝される。

昭和24年ごろから開始され、阿弥陀三尊・阿弥陀坐像・観音菩薩の計6体
10年を目安に1体を造立。お骨を僧侶が粉状に砕き、仏師に依頼して造立

香川県高松市仏生山町甲3215